2017年3月の特集 琵琶湖産真珠【産地レポート】琵琶湖産真珠
琵琶湖で育つイケチョウガイから採れる淡水真珠。
上品な輝きと個性豊かな色形が特徴で
昭和40年代には海外で強い人気でしたが
その後、水質の悪化や、安価な海外産真珠の台頭などが原因で、
ほとんど姿を消してしまいました。
国内流通があまりなく、地元でもあまり知られていなかった琵琶湖産真珠が
新たな取り組みをうけ、再び輝きを取り戻しつつあります。
独自の技術に磨きをかけ厳しい時代を乗り越えてきた
養殖業者の酒井京子さんと、専門店をオープンし
『びわ湖真珠』のブランディングに力を入れる杉山知子さんにお話を伺いました。
びわ湖からの贈り物。世界に流通した琵琶湖産真珠
かつて琵琶湖では豊富に真珠が採れ、ヨーロッパを中心に海外へ多く輸出されていました
真円で白く輝く海洋産の真珠と違い、琵琶湖で採れる真珠は個性的な形状で、ピンクやゴールド、オレンジなどさまざまな色味が特徴です。
酒井さんの養殖棚がある琵琶湖の内湖の「平湖」。母貝を育て、真珠を採るまでに6年の歳月がかかります。ゆったりとした時間の流れの中で自然の神秘が育まれています
昭和30年代前半の浜揚げの様子。床に積まれた大量のイケチョウガイから当時の盛況ぶりがうかがえます
酒井さんがつくった小さな有核真珠(左)と無核真珠(右)。無核真珠は核を埋め込まないため個性豊かな形に育ちます
通常の養殖では母貝に貝殻を加工した「核」を埋め込みます。これを「有核真珠」と呼びます。酒井さんのお父さんは母貝の外套膜(がいとうまく)内で核を埋め込まない「無核真珠」の養殖技術を確立した淡水真珠養殖のパイオニアです。この技術が開発されたことで、淡水真珠の養殖が飛躍的に発展しました。
イケチョウガイを養殖棚に吊るす作業中の酒井さん。父親から養殖技術を受け継ぎ、真珠を作り続けて40年のエキスパート
「私が父の仕事を手伝うようになったのが昭和52年。当時は県内に70軒以上の養殖業者がいて、琵琶湖で採れる真珠を目当てに海外のバイヤーが列を成すほどの人気ぶりでした。まさに『真珠バブル』と呼ぶにふさわしい時代でしたね」と懐かしむ酒井さん。しかし、そんな黄金期も長くは続きませんでした。
絶滅に瀕したイケチョウガイを守りながら
二度珠をつくるために貝を割らず(殺さず)珠を取り出しています。貝に負担をかけない、この開き具合が酒井さんの熟練の技
琵琶湖の水質変化による母貝の生育悪化など、様々な要因が重なり、1980年代に琵琶湖の真珠養殖産業は急速に衰退していきました。酒井さんは長く続く苦難の時代を、試行錯誤を繰り返しながら独自の技術を追求しました。
酒井さんが貝の養殖施術に使っている道具。養殖業者によって独自の道具や技術があり、企業秘密ともいえる大切な部分
採取した細胞を必要なサイズにカットしてピースを作ります。母貝のどこに細胞(※有核の場合は核十細胞)を埋め込むかで意図的にサイズや色なども狙って作れるそうです
通常、大きな有核真珠を採りだすときは貝を割ってしまいますが、酒井さんは同じ貝を使って再び真珠をつくっています。これを二度珠と呼び、有核真珠の二度珠は酒井さんにしかできない技だそうです。同じ貝にタイミングをずらして養殖施術をすることで有核真珠と無核真珠を同時に作ることに成功しています。
父親譲りの研究熱心さと高い技術で、貝に負担をかけることなく、たくさんの真珠を採る努力を重ねてきました。
生産者と販売者。奇跡の出会いでびわ湖真珠が新たに輝く
平湖を前に、酒井さんと杉山さん。杉山さんはただ真珠を販売するだけでなく、現場を知り、生産者の想いを受け止めることを大切にしています
そもそも琵琶湖生まれ、琵琶湖育ちの真珠なのに、県内でその存在はあまり知られていませんでした。それは、これまでの市場が海外中心で国内流通がほとんどなかったことによります。
最盛期の頃からびわ湖真珠を専門に実店舗を持たず販売してきた「神保真珠商店」の3代目・杉山知子さんは「びわ湖真珠の認知度を高めるには、まずは地元にお店が必要!」と考え、2014年に大津に販売店をオープンしました。
「神保真珠商店」に並べられたアクセサリー。実際に見て、手にとりその良さを確かめられます
真珠養殖が始まった当初から販売に関わってきたお店。びわ湖真珠に関する興味深いお話も魅力のひとつ
「養殖業者さんの手で色や形はある程度操作できますが、最終的に真珠を育てるのは自然の力。ひとつとして同じものはできません。実際に見て、触れてもらわないと良さは確認できないですよね」と杉山さん。お店ではただ真珠を売るだけでなく、生産の過程や生産者さんの想いもできる限り伝えていきたいと話します。
酒井さんの耳に輝くのはシンプルなピアス
「日本人は大粒の真珠よりも、普段使いできる小ぶりの真珠のアクセサリーを好む傾向があるんです。でも、真珠って重量で取引きされるので、生産者の方にすれば、同じ手間なら少しでも大きいものを作りたいですよね。そんなときに、酒井さんが作った小ぶりな真珠に出会って!真珠が育つまでに3年かかることを考えれば、酒井さんは私と出会う前からこの真珠を作ってくれていた。これって奇跡ですよね」。
杉山さんと出会ったことで酒井さんの気持ちにも変化が起こりました。
「こんなのはどう?」「この前のあれ良かったね」。お二人の真珠談義は尽きることがありません
ワークショップで作ったという真珠のブローチ。胸につけるだけでぐっと印象が変わります
「今までは、海外に売られていく自分の真珠がどんな風に加工されたのか知りようもなかったし、私の仕事はバイヤーさんに売るところで完結していました。けれど、杉山さんのお店で素敵なアクセサリーになったのを見ることができて、嬉しさと同時にこんな形があったらいいな、こんな色はどうだろうと、真珠の可能性を広げることがとても楽しくなりました」と話す酒井さん。
これまでとは違うやりがいを見つけ、とても生き生きとされているのが印象的でした。
独創的なアイデアで、びわ湖真珠の世界観を広げる
真珠を生み出したイケチョウガイの貝殻を再利用した「貝ボタン」
真珠だけでなく、残った貝殻の有効活用にも目が向けられています。平成27年度には官・民・学が共同でイケチョウガイの貝殻を活用するプロジェクトを展開。貝殻に含まれる炭酸カルシウムを原料とした「紙」や「インク」、信楽焼とのコラボレーションで生まれた「陶土(とうど)」や「釉薬(ゆうやく)」、貝殻を切り出した「貝ボタン」など、新しい感性で開発が進み、一部商品化もされています。びわ湖真珠の新たな可能性は、多方面へと広がりをみせています。
独特の光沢と艶を放つ貝ボタンに替えれば、いつものシャツが上品な印象に。贈り物にも喜ばれています
貝粉を練り込んだ陶土(とうど)を使った信楽焼のお皿
近年はイケチョウガイの品種改良や琵琶湖の水質改善も進み、生産量も少しずつ上向いてきました。
びわ湖真珠が滋賀を代表する名産品として、全国に知られるようになる日もそう遠くないかもしれません。