産地レポート

トップページ産地レポート5月の特集 近江の茶 産地レポート1

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産地レポート1 近江の茶

近江茶

黒田園の黒田為三(ためかず)さん家族みんなの手で慈しまれている近江の茶、朝宮茶

この期間だけの一番茶の収穫

朝7時、滋賀県甲賀市信楽町朝宮では、大きな布袋と機械を積み込んだトラックが、細い山道を登って行きます。
何度もアップダウンを繰り返し、最後は急こう配の坂を登り切って、小高い丘の上に着きました。
あたりは緑のじゅうたんを敷き詰めたようなまばゆいばかりの緑。

茶ばたけ

「お茶の栽培に適しているのは、南東の斜面です。日照時間が長いんです。ここは理想的ですね。」
黒田園の黒田為三(ためかず)さんは、笑顔で話します。
「祖父の代から50年以上かけて、お茶に適した肥料を入れ、土壌改良をするなど、茶畑を育ててきました。」
よく見ると、深い緑の葉の上(茶株面)から、みずみずしい若葉が出ています。
この茶畑では5月12日から約2週間、一番茶の収穫が行われます。

みずみずしい若葉

畑では、背負い式の動力噴霧器が唸りを上げています。
「茶葉に着いた水滴を吹き飛ばしているんです。水滴がついていると、葉を蒸した時に斑蒸し(むらむし)になってしまいます。」
そして、刈取りが始まりました。

バリカンの後ろに大きな袋が付いています

バリカンの後ろに大きな袋が付いています。この機械を二人がかりで茶畑の畝(うね)の上に当てて、刈っていきます。袋には空気とともに茶葉が入っていきます。
「簡単な作業のように見えるかもしれませんが、刃を当てる角度で収量が大きく違ってきます。また品質も変わります。機械を操作する二人の息も合わないといけないし、難しいんですよ。」
丁寧に刈り取った後の畝は濃い緑色が顔を出します。刈り取った後の濃い緑と刈取り前の若緑。鮮やかなコントラストができます。

機械を操作する二人の息も合わないといけない

「うちは家族総出で刈取りします。家内と長男、次男と次男の嫁さん、娘とその彼氏。家族だから息が合うんですね。」

家族が力を合わせて銘茶を作る

予定の刈取りが終わると、丘の上で朝ごはん。何とも言えないさわやかな風が吹いています。

予定の刈取りが終わると、丘の上で朝ごはん

「一番茶はこの時期しか採れません。高級な煎茶として出荷されます。茶葉の価格は天候や景気に左右されるのですが、この朝宮のお茶は、値が下がりません。香り、味の良さが認められているんですね。」
黒田さんは誇らしげに話します。
煎茶の高級ブランド近江の茶、朝宮茶は、家族みんなの丹精で作られているのです。

黒田さん一家

茶

ツバキ科ツバキ属の常緑樹。
原産地は中国とされる。日本では3m程度にまで生長するが、一般には1m前後の低木に仕立てて栽培している。
日本には、平安時代初期に最澄(伝教大師)が、唐より茶の実を持ち帰り、比叡山麓の大津市坂本にまいたのが始まりとされている。現在も「日吉茶園」として大切に保護されている。

滋賀県は最澄以来、お茶との関わりが深く、最大の栽培面積と生産量を誇る土山茶(甲賀市土山町)、日本の五大銘茶に数えられる朝宮茶(甲賀市信楽町)、「宇治は茶所、茶は政所」と謳われた政所茶(東近江市政所地区)などが知られている。

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