自慢の黒大豆の商品化を自らプロデュース
黒豆は"苦労豆"
野洲市の北西部、水稲に向いた平坦な農地が広がる野田町で「みのり農園」を経営する三浦大介さん。米、豆と麦の転作を合わせて約30ヘクタールで営農しています。
「白大豆も黒大豆もつくっているのですが、黒豆は"苦労豆"といわれるほど、つくるのが難しく手間がかかります」。
黒大豆の茎は白大豆よりも太く、コンバインの刃では切れないため、草刈り機で1本ずつ倒さなければいけません。日光に当てて乾燥させた後にコンバインで回収します。収穫だけでなく最初の種まきも大変。白大豆と比較すると直播きの発芽率が悪いため、一般的に黒大豆はポットで苗を作ってから畑に定植します。三浦さんも、黒大豆をつくり始めた時には手作業で定植をしていました。しかし、この手間を解消することはできないかと、大量の種子を直播きする方式に切り替えました。「手間をかけて確実に育てるやり方にするか、手間はかからないが全て芽が出るとは限らないやり方にするか」の選択でしたが、黒大豆の発芽率の悪さゆえに多すぎず少なすぎずの発芽・生育となり、直播きのやり方で白大豆とほぼ変わらない収量、大粒の豆が取れる大粒率(たいりゅうりつ)を上げられるようになりました。
黒大豆はまるで木になる実のように莢(さや)をつけます。根元の茎は三浦さんによると「足の親指くらいの太さはある」とのこと
生まれ育った土地に恩返し
三浦さんが生まれ育ったこの土地で、農業を始めたのは2006年。「前職を辞めた後に親戚の大農家の手伝いをしていました。3年くらい経ったころに『自分でも農業をやりたい』という気持ちが芽生え、独立に向けて動き出しました」。
家族や親戚の後押しを受けた三浦さんは、県の農産普及課から支援を受けて新規就農。当時から畑の放棄地は多く、これを受け入れながら耕作面積を広げていきました。
「恩返しの意味を込めて、生まれ育った土地を守らなきゃいけないなと思いました。放棄地の草を刈って農作物がつくれるようにして、景観も良くしようと」。
そんな三浦さんが2015年から始めたのが「おいで野洲 ひまわり迷路」。平坦な農地が広がる中にひときわ目立つ、ひまわりが作り出した迷路は地域の夏の風物詩となり、親子連れを中心に大人気。過去には10日間で約16,000人を動員したこともあります。野洲市青年農業者クラブと協働して作る三浦さんの毎年の力作は、地域活性化と景観維持につながっています。
三浦さんが育てた丸い大粒の「黒大豆」
収穫時の黒大豆。莢はこげ茶色になっています
食べてよし、飲んでよしの黒大豆
収穫した黒大豆は、所有するポン菓子機で加工し「黒茶(くろちゃ)ん」「黒豆ぽん」という名で出荷されます。いずれも釜に圧力をかけてはじけさせたもので、見ると黄色の皮がついています。前者は加工した黒豆そのもので、後者は砂糖を飴状に煮詰めて絡めたもの。温度や湿度によって砂糖の煮詰める時間が変わってきます。少しでも違うと湿気たものになってしまうため熟練の技術が必要で、従業員の1人が担当しています。いずれも事務所直売のほか、地元のファーマーズマーケット「おうみんち」を中心に、最近では卸業者を通して大阪でも売れてきているとのこと。
「「黒茶ん」はそのまま食べるのはもちろん、お茶にしてもいいですし、炊飯器に入れて黒大豆ご飯にするのもおすすめです。アントシアニンでご飯が紫色になるんですよ」。
ポン菓子機の加工で柔らかくなっているため熱も通りやすく、素朴な香ばしさが広がる黒大豆ご飯になります。
炊飯器に「黒茶ん」と塩を入れて炊くだけで、滋味あふれる黒大豆ご飯の出来上がり。ほんのりと赤紫にそまったご飯は噛みしめるほど黒豆の香ばしさが広がります
そして現在開発中なのが、黒大豆を使ったジャム。ひまわり迷路のひまわりから油を取って原材料にしており、大阪のホテルのシェフとともに開発が進んでいます。
「黒大豆とひまわり油を使った商品を作りたいと思っていて、そのスタートがこのジャムです。どこかとコラボした方が販促にもつながると思いますから」。6次産業化プランに乗り出し、自慢の黒大豆を自らプロデュースする三浦さん。いったいどんなジャムになるのでしょうか。今後の商品にも期待です。
※6次産業化:第一次産業である農業が、第二次産業としての製造業、第三次産業としての小売業等の事業と、総合的かつ一体的な事業を推進していくこと。
ポン菓子がよく売れるようになったため、三浦さんはポン菓子づくりを自ら学びに行き機械を導入しました
三浦さんがプロデュースする黒大豆製品。「黒茶ん」は商標登録を取得しています
(取材日:2020年12月9日)